小野川温泉とは

小野川温泉とは?

「美人の湯」小野川温泉の秘密
自分をいたわる特別な時間を

開湯は約1200年前、絶世の美女と伝えられる平安時代の女流歌人“小野小町”が旅する途中、温泉で病を癒したという伝説にはじまります。戦国時代には“伊達政宗”が、落馬で負ったケガを湯治したという記録も。
長きにわたり湯治場として親しまれているお湯には、体をあたため心をも癒してくれるような魅力に溢れています。
飛び交う蛍や、移りゆく自然に感動。名物豆もやしやラジウム玉子、米沢牛に舌鼓。町の人々のあたたかさに触れ、個性豊かな温泉宿や商店、様々な観光拠点を巡る温泉街。 日々の忙しさを忘れ、小野川温泉でゆったりと旅をお楽しみください。

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小野川温泉の紙芝居

小野川紙芝居

小野川温泉物語
まずは小野川温泉を開いた小野小町のおはなし。

小野川紙芝居

平安の昔のこと、京の都に小野小町というとても美しい女性がおりました。
和歌を詠むのが上手で六歌仙に数えられるほどでした。

小野川紙芝居

あるとき、小町は出羽国(今の秋田県)にいた父、小野良実(おののよしざね)を訪ねるため 京の都から旅に出かけました。
ずっと歩きつづけた小町。福島県の桧原(ひばら)の難所を越え、 米沢に入った頃、長旅の疲れから病になってしまいました。

小野川紙芝居

絶世の美女といわれた小町でしたが、川面に顔を映すと鬼のような顔になっていました。
「吾妻川 岸の流れに立ち寄れば いつしか映る鬼の面影」その時から、吾妻川は鬼面川と呼ばれるようになりました。

小野川紙芝居

歩くのに疲れ、休んでいると、寝ている小町の夢枕に峰のお薬師さまからお告げがありました。
そのお告げをもとに吾妻川を下っていくと…。

小野川紙芝居

あたりに茂っていた葦(よし)の葉に小町の袖が触れるとハラハラと落ちました。
「こっちだよ」と行き先を示しました。この葦を「片葉の葦」と呼んでいます。そして、なんとお告げのあった場所に行くと…

小野川紙芝居

いで湯が!
温泉が湧いていました。
小町は温泉に37日入り、病を治して再び絶世の美女として旅を続けたましたとさ。めでたしめでたし。

小野川紙芝居

次は、小野川温泉のほたるのおはなし。
小野川温泉には3種類の蛍が棲んでいます。
一番大きいゲンジボタル、次に大きいのがヘイケボタル、一番小さいのがヒメボタル。
それぞれ時期をずらして発生するので1ヶ月以上もホタルが見られるとても貴重な場所です。

小野川紙芝居

ホタルがなんで光るのか知っていますか?
ホタルの光はコミュニケーションなのです。あの光でオスとメスが話をしています。

小野川紙芝居

光を頼りに出会ったホタル。その後、メスは卵を産みます。
卵からかえった幼虫は、水の中でカワニナなどの巻貝を食べて成長します。
大きくなったら、土に潜りサナギになります。
そして、6月くらいに土の中から出てきて、成虫として光の舞を見せてくれます。

成虫として生きられるのは10日前後。
その間にオスとメスが出会って、卵を産みます。
とても短い命を懸命に生きているホタルたちですので、どうか触ったり採ったりせずに鑑賞してください。

小野川紙芝居

伊達政宗公のおはなし。
米沢生まれで米沢育ちの伊達政宗は子供のころ、梵天丸という名前で呼ばれていました。
5歳のときに病にかかり、右目を失ってしまいました。
その後、奥州の覇者としていくつもの戦で勝ちつづけましたが…

小野川紙芝居

23歳のときでした。馬から落ちて、足の骨を折ってしまいました。

小野川紙芝居

骨折の治療に政宗が入ったのが小野川温泉。
温泉の力で傷も回復し、その後も大活躍を続けました。

小野川紙芝居

上杉鷹山公のおはなし。
アメリカのケネディ大統領が尊敬する政治家として名前をあげたのが、上杉鷹山公。
上杉藩の九代目の藩主です。
この時代、戰はありませんでしたが、米沢藩はとても貧乏で、飢饉も多く、食べ物にすら困っていました。 そこで鷹山公は、新しい取り組みをたくさん行いました。冬でも食べられるように鯉を飼ったり、よその国で高く売れる織物を作ったり、笹野一刀彫を彫ったり。それらは今でも米沢の名物です。

小野川紙芝居

また鷹山公は小野川温泉周辺で田んぼを新たに開墾しました。
当時では珍しくお侍さんにも手伝わせ、終わったあとはお殿様自らお酒をふるまったと伝わっています。

小野川紙芝居

さらに、小野川温泉がしょっぱいことに目をつけ、温泉のお湯から塩をとろうとしました。
残念ながら良い塩はとれませんでしたが、塩田跡地として今も残っています。
領内のいろんな資源を活用したアイデアマンのお殿様だったのです。

History 年表

  • 834

    小野小町、小野川の里に来り開湯する。

  • 1522

    塔之原、佐次兵衛の先祖清左エ門なる者の下女、尼代により尼湯が開湯す。

  • 1587

    伊達政宗、23歳のとき足を骨折し、小野川で湯治する。

  • 1595

    蒲生郷安、巴鑑をつくる。小野川村47戸314人、272石3斗4升とあり。

  • 1601

    上杉景勝、米沢城に入る。

  • 1613

    小野川に滝湯が開湯す。

  • 1772

    小野川で製塩始まる。

  • 1773

    五十騎組が手伝い、小野川を開墾す。藩主上杉治憲(鷹山)、これを視察する。

  • 1923

    小野川スキー場が開設される。

  • 1958

    皇太子殿下(現上皇陛下)が国体で御成りになり、小野川スキー場でスキーを楽しまれる。

  • 1989

    小野川のホタルが環境省の「ふるさと生き物の里」に認定。ほたる公園完成

Development まちづくりの歴史

  • 1957

    小野川温泉観光協議会が設立される。

  • 1965

    小野川源泉協同組合が設立し、源泉の集中管理を行う。

  • 1981

    第一回小野川温泉ほたる祭りが開催される。

  • 1995

    第一回小野小町サミットを小野川で開催する。

  • 2002

    露天風呂・足湯・飲泉所が完成、街灯が更新される。

  • 2003

    インフォメーション「片葉の葦」完成する。

  • 2006

    小野川温泉田んぼアート始まる(18年の絵柄は小野小町)

  • 2013

    小野川温泉中心街が米沢市景観重点地区に指定される。